[3日目]
朝のうち雨、のち曇り、やや寒し……明日香村はもそっと寒い。
今日は、何度も行こうとしてるのに何故か阻まれて来れなかった、明日香村謎の石造物を巡る、である。
もちろんレンタサイクル―1日900円・乗り捨て料金200円也―で回る。
高松塚古墳→鬼の雪隠・俎(まないた)→亀石→川原寺跡→二面石(橘寺-伝:聖徳太子生誕地)→
石舞台→酒船石→飛鳥寺、と回る。
文武天皇陵、天武・持統天皇陵、欽明天皇陵などの御陵もたくさんあるけど、
体力的に無理なのではじめから予定に入れない賢い私……天気悪いし(笑)。
さーて、いよいよ待ちに待った石たちだあ…の前に、
取りあえず押さえておきたい
高松塚古墳。
外見はただの小山。
もちろん石室は密閉されているから入れないけど、隣の高松塚壁画館で、
飛鳥美人など壁画の模写を見る。
今日はいっぱい回るから少し早足。
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鬼の雪隠・俎(まないた)
何でこんな大岩があるの? が、鬼の雪隠。
つまり鬼のトイレットだな……鬼にはオスしかいないのか?(笑)
鬼の俎は、鬼が人間を料理した?
なーんて、実は古墳の中身だそうな。
これだけの石室に葬られた人物だから、権力があった人なのだろう。
それなのに、雪隠・俎なんて言われちゃうなんて、ちょっと気の毒。
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亀石
普通の田んぼ道の道沿いの民家の横にどかんと鎮座していて、
本当に亀の形をしている。
「今南西を向いているが、
もし西を向くと洪水になるという伝説」があるのだそうだ。
巨石でありながら、表情は何ともラブリィ。
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川原寺跡建物跡の大きさを示すために復元された礎石が点々と配置されているけど、
何も知らなければ、ただの公園にしか見えないただっ広い空間。
三次元で想像力を働かせれば、南門から中門、回廊、西金堂、講堂(現・弘福寺)と、
絢爛たる伽藍が脳裡に浮かぶ……なんて無理っ。
というわけで、さくっと次へ。
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橘寺寺伝が物語る「太子出生の地」は伝説の域をでないのだけど、
太子の勝鬘経講説のときに、蓮の花が天から溢れ落ち、この地に降ったという。
高さ1mほどの背中合わせに2つの顔が彫られた二面石は、太子殿の南庭にある。
これもやっぱり明日香特有の石造物。
寺院という場所柄、いつしか「善と悪の二面を表す」というような解釈が付加されたらしい。
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石舞台蘇我馬子くんの墓といわれているけど定かではない。
露出した巨石の形状から「石舞台」と呼ばれている古墳(の上部が無くなったらしい)。
ふ〜んと、隙間から中を覗いたら驚いた。
中に巨大空間。
しかも人が入れる。
もちろん、いそいそ。
……驚き。
なんだか石のパワーに圧倒されてしまって、ちょっと怖い。
ふわりと小雨模様になってくるし、これは休めという天の采配。
石舞台近くにあった「あすか野」で昼食。
おみやげとして付いてくる小さな埴輪風の土人形ほしさに「あすか定食」を注文。
内容は、あまごそばと山菜ご飯、香の物、だったかな?
ああ…また写真に撮るのを忘れてしまった。
食べ物を前にすると、食い気の方が優先してしまうのよほ…。
食べ終わるころには雨も上がる。
きっと私の日頃の行いを、神様は見て下さっていたに違いない(笑)。
さあ、今のうちにちゃっちゃと回るぞっ。
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亀形石造物平成4年に発見された。
石造物については『日本書紀・斉明紀』にこんな記述がある。
舟二百隻で石上山の石を積み、流れのままに下り、宮の東の山に石を積み垣を造る。
人夫は三万余り。加えて垣造りに七万余人。しかし、実はだれも本気にしていなかったらしい。
ところが酒船石のある丘一帯の調査により次々と石造物が発掘され、
ホントだったんだーってことになった。
とはいえ、築造年代や用途などは文献になく、あいかわらず謎の石造物。
だからこそ謎がまた謎を呼び、興味をかき立ててくれるわけで…。
これらを造った人も後世の人間がこんなに悩むことになるとは思いもよらなかったのだろうなー。
思わず飛鳥人に思いを馳せ(想像がつかないから気分だけ)、遠い目……。
亀形石造物と関係が深いとされる酒船石へは亀形石造物の横から道があって、
簡単に行くことができるが、自転車は遠く…。
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酒船石小高い丘の竹薮の中に、どでんとある。
近年ではこの周辺の発掘調査が進み、少しずつヒントは増えてきたとはいえ、未だ謎めいた存在。
自分の浅はかな知識では到底手におえないことはわかっていながらも、つい想像をめぐらしてしまう。
……何らかの宇宙からのメッセージだとか?←ふっ、俗人はそんなものよ(笑)。
少し日が傾いてきたら急に冷えてきたし、慣れないサイクリング大会でかなり疲れていたので、
予定していた板蓋宮跡とか水落遺跡とかをすべてすっ飛ばして飛鳥寺に直行。
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飛鳥寺蘇我馬子の発願により建立された、日本で最初の本格的な寺院。
寺の入り口付近にある看板が、なかなかに素晴らしい。
「人は忘れ、土地は寂れ、寺は小さくなろうとも、すべての文化の発祥の地であること誇りに思う」
みたいな事を書いてあるんだけど、その口上にじんわり感動。
かつては塔を取り囲む三つの金堂を中心にした壮麗な伽藍が立ち並び、
曽我氏の絶大な権力を見せつけたものだろう。
しかしこの地は、大化の改新のおりには蘇我入鹿の暗殺を断行した、
中大兄皇子と中臣鎌足ら革命軍の拠点となった。
飛鳥大仏は変わらずここに座りつづけ、1400年という時間を、ずっと見つづけてきたのだ。
ところで、飛鳥大仏は国宝ではなく重要文化財。
一番ひどい状態の大仏様は、こ・れ・だっ、というくらいお顔は傷だらけだし、
数度の罹災によって補修が施され、その姿が変わっているかららしい。
そのおかげで、間近に会うことができるのだけど。
などを、詳しく説明をしてくださる住職さんが居られるのだけど、
土地の言葉の上に早口なので、よーく注意して聞いていないと分からなくなってしまう(汗)。
寺の裏の
蘇我入鹿の首塚に。
ここは誰もいないかなと思ってたら、本当に誰もいなかった。
しかも、綺麗に整備されているとはいえ、田んぼの真ん中だ。
山々に囲まれ、黄色くなった田んぼがただ広がる。
乙巳の変(大化改新)の時、板蓋宮跡で討たれた蘇我入鹿の首がここまで飛んできたと言われる。
大した跳躍力じゃ。
ちなみに私の入鹿くんの下地は、
黒岩重吾氏の『落日の王子―蘇我入鹿』や、
'05年正月に放送された「大化の改新」の渡部篤郎さん(笑)。
ここに入鹿=渡部篤郎さんの首がごろんと転がっていたのか……。
つい想像しちゃったら、脳裡に鮮やかに映像が……怖いよお。
もっとゆっくり飛鳥寺の森厳とした空気に浸っていたいが、
時間と体力と気温の関係で、あわただしく立ち去らねばならないのが残念。
でも飛鳥の散策は、ちょっとした計画変更や寄り道も自由に出来るのがいいところ。
帰りは膝がガクガク。
やっぱり寄り道をってことで甘味処へ。
葛きりなど食べる。←「など」には、きなこだんごが入る。
レンタサイクルを橿原神宮前駅に乗り捨て(レンタル先に連絡済み)、
奈良まで戻る電車の中で爆睡。
夜になってもお腹は空かないが、ホテル近くのおでんやに入って地酒で一杯やった。
ほんとに、食べてばっかり。
なんだか今回はすごく長くなってしまって……読んでくださった方、ありがとう
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